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そして線を大切に。

九谷焼絵付師です。主に下絵付けを中心に制作しています。上品で味わい深い下絵の世界を目指して…

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私という人が作られるまで、一体どのようなことがあったのかをお話します。

 

私は普通の一般家庭に生まれました。絵を描くことが大好きでしたが、コンクールで大きな賞は貰ったことがありませんでした。いつも、佳作などでした。それでも両親は喜んで、名前が載った新聞を大事に切り抜いてみたり、展覧会があれば直接見に行ったりしていました。

 

とても愛されていました。

 

 

 

高校に進学する時も、絵が描ける芸術コースのある学校を選びましたが、ヘタレの私は結局、同学校の普通科を受験しました。ニ年生になり、いよいよまた進学のことを考えるシーズンになると、ようやく気付き始めます。私は  ”自分が本当にやりたいことを分かっているのに、何故やる前から諦めているのだろう”   と。

そこでやっと、自分の道を歩んでいく覚悟を決めたのだと思います。父親の知り合いを頼り、辿りついた絵画の先生に大学受験をしたい旨を伝え、週に1〜2度、絵を習いに通いました。

その先生は、既にお年を召した方で女性でしたが、絵画だけではなく書でも名を馳せていましたので、いつも伺うと私以外は全員大人の方が習いに来られていました。バイタリティー溢れる先生で、生徒さんと一緒になって色んなことをして楽しんでいました。その中で私も一度だけ参加したものがありました。まさか今に繋がるなんて当時は知る由もないですが、陶芸をさせていただいたのです。受験で頭がいっぱいのはずの私が、なぜ遊びのそれをやろうと思ったのかは、今でも分かりません。運命だったのでしょうか。

 

そして短期間に必死で上げた素描力と、何にもない学力のおかげで見事に記念受験となり、第二希望の学校に通うことになりました。

そこは半年で美術コース全てをまわり、経験してから一つに決められるカリキュラムで、洋画の先生に呼び込まれ悩みましたが、結局、当初から希望していた日本画を専攻しました。これにも習っていた絵の先生の助言を求めて、やっと決断したのです。

 

私はいつまでたっても人を頼ってばかり。

 

 

 

学生時代は、半日が絵を描く授業だった為、毎日楽しく過ごしていました。日本画はとても難しいものでしたが、私は満足していました。今まで勝手に諦めて逃げてきたものを、埋めるように向かい合うことができ、満たされていたのです。

二年生になると海外研修旅行がありました。私はどうしても行きたかったので、両親に無理を言って行かせてもらいました。このことが私の人生を決める一つのきっかけになりました。旅行先で出会う、海外の歴史的建造物や街並みに心奪われ、日本にも素晴らしい伝統があることに気付き、わたしもそういう伝統を受け継いでいく仕事に携わりたいと強く思いました。

 

ざっくりではありましたが、ようやく自分がなりたい道が見え、しばらくワクワクが止まらなかったのを覚えています。

 

 

 

そしてほどなく私は窯元に就職し、師匠が出来るのですが…って、これまでを振り返るだけなのに詳細に記していくと意外と長くなるものですね。

 

気になる人もいないでしょうが、私がただ単にまとめたい気持ちだけで動いていますので、最後まで消化させて下さい。

 

それでは、続きはまた明日。