鉄粉(てっぷん)について
鉄粉とは、焼物に見えるホクロのような小さな黒い粒です。
わたしが作る九谷焼は、染付を代表とした下絵付技法を基本として作っているため、鉄粉は身近な存在で切っても切れない関係です。
身近と言っても、全然ウェルカムな意味ではなく、むしろ何処か遠くに行ってほしい存在です。
そして、その為の努力をもの凄くしています。
下絵付技法とは、本焼前の素焼素地に描いていく技法ですので、描く前に必ず鉄粉除去を行っています。
目視で見える疑わしい黒い粒は全てカッターの先でポリっと取り除きます。
ただし、残念なのは表面に見える部分のものしか効果はない為、本焼後に一層下にある鉄粉が出てくることが多々あります。また、本焼中に窯の中で舞っている鉄粉が付着することも多々あります。
不運としか言いようがありません。
技法の取れ率としては、作品を10個つくって7個とれるかな?どうかな?と言う感じです。
焼物なので、本来は鉄粉というものは有るのが自然で当たり前のことなのですが、
"完璧ではない、不具合だ"
と見なされる風潮があります。
最近では、その風潮も関係ないとおっしゃる皆様の声も多く耳にしますが、わたしの作風が許さないのではないかと自分自身に呪縛のような葛藤が常にあります。
丁寧に丁寧に仕事したもの全てを、完成品として取れない現実は本当につらいです。
上手くいかないことが続くと、地味で伝わりにくい下絵付技法で作る意欲が失せ、逃げて違う技法に移行してしまおうかと一瞬頭をよぎることもあります。が、やはりよぎるだけで、性格上こっちなんだろうなとすぐに引き戻されています。
話は少し飛びますが、
プライドが高いと言われたことが過去にあって、鼻にかけてるつもりなんて一切ないし、そんな風に見えているのかと正直とても傷付きましたが、逆にプライドを持って仕事していない人の方が少ないのではないかと後で思いました。
目に見えてること以上の仕事をしている自負があります。
以前のわたしなら言えなかったひと言ですが、色々な苦労を乗り越えてきた蓄積があるので、ようやく自分を認めてあげられています。
「努力が見えない、見せないのが一番良い」
最近、業種の違う先生が勉強会でおっしゃっていた言葉にすごく勇気をもらいました。
工芸品における見方なのかもしれませんが、その言葉を聞いて、凛とした空気を纏っているものなのかなと感覚的に思いました。
自分の作品はなかなか客観的に見れないので分からないですが、努力は見えなくて良い、正解だよ。と言われたような気分になり、すごく救われて心に響きました。
「努力を見せないのが良い」という意味は、きっと、地味と思われるような作業も丁寧に続けることで、より良い仕上がりになる。
と言う意味なんだろうと思います。
鉄粉の話から愚痴寄り道を経て、悟りの境地に入ってしまった気がしますが、まだまだ道半ばです。
気分屋で天邪鬼で負けず嫌いのわたしだからこそ作れるものを、これからも頑張って作ります。
過去作、今作、未来作、その時代ごとに作風は少しずつ変化していくでしょうが、どの時代の作品もきっと、誇らしくすんばらしい(はず)です。
作り続けられることは幸せです。
生涯現役!元気いっぱいおばあちゃん作家になりたい。