そして線を大切に。

九谷焼絵付師です。主に下絵付けを中心に制作しています。上品で味わい深い下絵の世界を目指して…

a line

お返事を書くときになってようやく気付いたこと。

前記事にコメントがつきました。

tonさんという女性で、はてなブログで素敵な文章を書かれている方です。

ご自身の身の回りで起きる日常をありのまま書かれています。

ほぼ毎日更新されているので、彼女のブログを読むことは私の日課のようになっています。

言葉選びと文章のリズムが心地良くて。

それがすごく癒しで。 

 

去年の企画展で直接お会いすることは出来ませんでしたが、温かい応援を受け取ることが出来、とても嬉しく感動しておりました。

 

そんな彼女から、

「鮮やかなものの中で、それらを繋ぐようにそっとありますね。でもそれが好きです。この中でどれか一つ持って帰っていいって言われたら、あれこれ目移りしながら、結局、このようなそっと日常に溶け込むようなものを選ぶと思いました。」

と、コメントを頂きました。(全文拝借しました、すみませんtonさん)

 

私の拙い文章を読んで反応を下さるだけで、本当に幸せなことなのですが、

ー  目移りしながらも、結局それを選ぶ  ー

このように解釈すると、とても気恥ずかしいというか嬉し過ぎるというか、、

ですからお返事を書くのに、実は戸惑ってしまいました。

 

なぜなら、

 


華やかな中に、私の染付は地味さを放ち過ぎてしまったかもしれない、と第一印象で思っていたことを思い出したからです。

 

 

 

 

まだまだ勝手に

自分は大したことない奴だ。と、

無意識に卑下していました。

 

 

実際にこの目で見てきた曳山の映像がフラッシュバックして来るのです。

 

鮮やかな色とりどりの九谷焼の陶板の中に埋もれている質素な青い陶板。

もはや、わたしの目には埋もれているようにしか見えていませんでした。

上絵はパキッとした線が残りますが、下絵の染付の線はパキッと残りません。

技法が異なる為、仕方ないことは分かっていますが、私は一体何を求めているのだろうという気持ちになりました。

 

九谷焼は様々な技法があります。

本当にそのどれもが一級品で、素晴らしいです。

しかし、

私の作る染付も素晴らしいはずなのに、自信が持てなくなる時があるのです。

 

ナンバーワンになりたいと思っているからなのでしょうか。

ものづくりとは、"いつも自分と向き合い続けていくこと"  "答えは自分の中にあること"   なはずなのに。

 

 

あ。

 

もしやこれも思い込み…?

久しぶりの固定概念??

 

 

いつも自分と向き合って無くていいし

自分の中に答えが無くてもいい

 

 

 

うん、言ってみると心がほどけます。

 

 

許す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また一つ自分を許せた。 

 

 

気づかせてくれたtonさんのコメントに感謝です。ありがとうございます。