そして線を大切に。

九谷焼絵付師です。主に下絵付けを中心に制作しています。上品で味わい深い下絵の世界を目指して…

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私の個人的な偏見が多いお話です。

その土地にある風習や昔からの習わしは、紡いでいきたい伝統と認識することが出来るかと思います。

 

昨日の記事に出てきたキリコの話でも、現代の思想に合わせて形を変えてでも、もの自体は本来の形のものと並び、廃れること無く今も残っています。

祈りを行う精神は引き継がれているのだと思います。

形が変わったから思いも消える。変わったけど思いは変わらない。人によって、どちらもあるでしょう。

 

でも、大切なのは、自分がどうすることが一番心地いいのか。だと思うのです。

 

キリコの話を掘り下げると、何年か前にテレビでやっていたのですが、風や雨で負けないように丈夫なものがあっても良いのではないかと思い立った、一人の男性が作りました。

きっと、この方は箱キリコの壊れてお墓周りが見苦しくなる様子に耐えられなかったのではないかと、私は思うのです。

試作で作ったものから、同じ思いを持つ人々の目に留まり、商品化され飛ぶように売れていくまでになりました。

今では板キリコにおされて、本家本元の箱キリコが置いていない売場もあります。

 

それを求めている市民には、なんと世知辛い世の中になっていることでしょう。「そんな簡易的なものでは、本来の目的を果たせていないのではないか」「祈りを何だと思っているんだ」という声が聞こえてきそうです。

 

でも、どちらも思いは同じなんですよね。

 

というか、キリコというものすら用意しなくても思いがあれば、それが全てなんですよね。

 

お墓参りにキリコを欠かさないと言っても、県内では金沢とその周辺の地域のみで、能登や小松方面ではあまり主流では無いのですから。

 

伝えていきたいのは、祈りと思いですよね。その中にしきたりがあるのだと思うのです。

しかし、しきたりをないがしろにして、お墓の面倒を見る人が無くなって、無縁仏になる最悪のパターンはなんとも寂しいです。

 

形にこだわる。

ただ、目の前で手を合わせる。

 

自分が一番しっくりくるやり方で良いのだと思います。

 

 

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お墓参りのキリコの話から拡げて、上手くまとめたかったのですが、ちょっと私には難しくなってしまいました。

 

でも、伝統というものは形を変えて、色々なところで息づいているのだと思いました。

 

その土地にある風習や古くからの習わしは、現代の思想に合わせて、これからも引き継がれ残っていくことでしょう。

 

 

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今、車の中で書いているのですが、クーラーが効いて寒くなってきました(~_~;)

早く家に帰ろうーっと。

 

 

それでは、また。