そして線を大切に。

九谷焼絵付師です。主に下絵付けを中心に制作しています。上品で味わい深い下絵の世界を目指して…

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つづき。

先日の講演会で仕入れた情報をまとめています。

それでは、つづきをどうぞ、、、

 

 

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有田に押されていた波佐見という話がありましたが、元々は”波佐見焼”と言う名前で売り出すより”有田焼”として売る方が、売れる時代があったからだそうです。

波佐見で製造された焼物も、有田焼としていた為、売上が片方に寄っていただけの話なのだとおっしゃっていました。

 

波佐見焼と有田焼、同じようなものを作っても、やはり前者の方が安いと言います。

何故そんなにも価格の差が生まれるのか、今更ながら疑問ですが、有田焼の定義の一つとして、

「本焼成が有田・伊万里佐賀県内)であること。」

があるそうです。

 

つまり、粘土がどこから来たものでもいいし、素焼が違う場所で焼かれたものでも構わないということ。

 

こんなに緩い定義になるのは、業務用食器も大量に扱うことも理由にはあるようで、それ程、助けてもらう隣県との密接な繋がりがあるからこそなのかもしれません。

有田焼は泉山(いずみやま)から始まったとされていますが、400年の歴史で、既にこの山一つ無くなったと言います。

これは、ものすごい大きな窯業産地であると言えます。

まだ、僅かに採石は出来るようですが、とても貴重なようでした。

一方、熊本県にある天草陶石ではまだまだ無尽蔵にあるとのことでしたが、三社あるうちの一社だけの脱鉄機(?。土に混じった鉄を排除する機械だと思います。磁器に鉄粉は致命取りなはずですから。)を使い回しているようです。壊れてしまった機械を直すことにお金をかけて欲しいのは、この粘土を使う業界人だけな為、要はしぶられているようなのです。

こんな裏話も聞きながら、二部構成のセミナーとディスカッションが終わりました。

 

一通り聞いた中で、私が印象に残ったのは、400年事業を迎えるにあたって他産地巡りをして彼らが収穫した話でした。

まず産地間コラボ事業を、窯元の青年部が参加。その後、萩焼会津塗、東京染小紋、そして我が九谷焼など全国にある16もの伝統工芸品と、相互訪問を通じ交流したようです。

そこでは、”単なるコラボじゃなく、何か有田焼にとって産地にプラスになることをやりたい”と気付いたとおっしゃっていました。

他産地に直接出向いて自分の目で見ることは、良いところも悪いところも全部見えてきて、

じゃあ自分たちはどうしたい?という風に、考えを持つように至ったと言います。

 

自分の強み、弱みは一体何か。

ゼロから考えていく。

理念とビジョン(目的)を明確に。

 

焼物を通して、どう社会に反映させていくのか。

 

プランを練ってからものを作り、発表する。

 

 

今までは商社の顔を見てものを作ってきた。

                        ↓

でも、売れなくなった。お客さんの顔が見えないから原因が分からない。

                        ↓

自分たちが作りたいものを作る。そして、作り出した理由を明確に示す。

 

 

主張すること。

個性のあるものづくり。

 

 

産地は違えど、これからの未来に残して行くには、このことがキーポイントになるのは変わりなさそうです。

 

ですから講師の方はこうもおっしゃっていました。

「この話を聞いたからといって、決っして真似はしなくて良いです。私達と貴方達は全く違います。九谷には九谷の魅力があるはずです。そこを伸ばしていくだけで良いのだと思います。」

 

また、

有田焼業界では、未だに商社と窯元の力関係がはっきりとしているらしく、本来の対等な関係に戻して行きたいともおっしゃっていました。

 

 

***

私が吸収した内容になりますので、一部抜けていたり、もしかしたら受け取り方を勘違いした部分があるかもしれません。

業界の人に言わせれば「違うよ!」と言われる不安もありますが、私が書きたいことを思い出しながら文章を起こしています。間違いに気づいた時は、また改めてこちらで書いて行きたいと思っています。

 

有田焼の全てが理解出来たとは思っていませんが、同じ磁器で作られ、似ているように見えても、やり方や魅力は違うのだと思いました。

  

 

まだまだお話したいことがあるので、この話は別記事にまとめたいと思います。

皆さんにとっては分かりませんが、私にとっては興味があるジャンルになります。

 

 

それでは、また。