私の得意なこと
・映像の記憶
・絵を描くこと
・お菓子、料理作り
・縦列駐車
・流れ作業
私の苦手なこと
・人の気持ちを読むこと
・文章を書くこと
・計算
・計算が必要な作業
・掃除
よく、「好きこそものの上手なれ」と言いますが、得意なことはつまり言い換えれば、好きなことになるのですね。
では反対に、苦手なことを言い換えれば嫌いなことになるのでしょうか。
私が挙げた苦手の中に、
文章を書くこと と、ありますが、何故いま、苦手で嫌いなことをやっているのでしょう。
得意なことはやりたいことで
苦手なことはやりたくないこと?
やりたくないなら辞めればいいのに。
もしかしてまさか、苦手だと思い込んでいるものが混じっているのでしょうか。
これ、ずっと前に言っていた気がしたので探してみるとありました。
*********************
人って、苦手だなって思ってるものを、出来るだけ遠くに避けて、得意なもので埋め尽くしたくなる傾向かなと思います。でも、あえて苦手なものに飛び込んで行くと、それこそ見方が変わって味方が居ることに気づきます。味方と言うのは自分です。
誰かに下手って言われたとか、馬鹿にされたとか、嫌な思い出があるからやらない。これもありでしょうが、下手って言われても、馬鹿にされても私はやってみたい!っていうのも、これまたありなのかなと思います。現に私も、活字はあまり読まないし、読んで来なかったし、文章書いたり人に自分の考えを伝えることが苦手ですが、ブログをふとやろうと思ってやり出したら意外と楽しくて… 本当に人生って分からないものです。人のターニングポイントっていくつもあるでしょうが、自分の人生、他人の意見に左右されず楽に生きられたら、幸せは常にそばにあることに気がつくのかもしれないですね。
《抜粋》
2017-04-16
幸せを満たすものって、よく分からないけど、もしかして自分の受け取り方次第なのかもしれない。
*********************
ほー。なるほど。
振り返ると面白いですね。
要は私って、手放していた苦手なことをあえてやってみたのですね。
小さい頃に人から言われたことの影響力ってすごくありますね。そうだという確信に至る事実を、自分でかき集めて来てしまうのですから。
人間誰しも褒められたいものです。褒められないものは、やりたくなくなるのかもしれません。
でも、失敗したり馬鹿にされても軽く受け流すことが出来たなら、それは今の自分を生きている証になり、苦手なことは無くなって行くのではないのでしょうか。
その時は苦手だと思う。
同じことをやって、その時は得意だと思う。
過去や未来にとらわれることなく、真に今に生きるということは、一瞬一瞬で気持ちが変わるので良くないことと思っていましたが、これが自然なことなのかもしれません。
外の意見はただの意見であり、大事なのは自分がどうしたいか。
言いたいことが伝わっている自信が正直ありませんが、まぁ、そういうことだと思います。
すみません、最後は適当になってしまいました。人の気持ちを読まない私です。すみません。。
それでは、また。