最近ブログ記事で書いていて、私は魯山人が好きだったことを思い出しました。
何故好きだったかと言えば、先日の記事に記したように自信満々の物怖じしない性格や、彼の生き様に惚れたからです。
それは作品にも表れていて、魂が宿っているように見えてならないのです。
彼は口だけではない天才だと思いました。
九谷焼に足を踏み入れた頃、私は師匠や先輩達が描く姿が、自分とはまるで違う、遠い世界にいるように見えていました。
しかし、私は魯山人のようになりたい!とある時から胸に秘めるようになりましたので、
こんなものではへこたれないぞ。
先輩達も師匠も、そして魯山人さえも人間だ。
神じゃない。
わたしと同じ…みんな同じ人間のはずだ!
と、恥ずかしくて誰にも言えない、(自分だけが納得する)気合いを入れて毎日修行に励んでいました。
また、
好き過ぎるが故に、真似をして器を作ったこともありました。
私は魯山人の図録を穴が空くほど見ていましたので、好きな器は何点かありました。
その中で真似してみたい!という向付の器がありましたので、実際に粘土を買ってきて形から制作したのです。
図録にはサイズも載っていますので、一方向からの写真とこれを頼りに制作していきました。
絵を模写することはあっても、こういう経験はありませんでしたので見よう見まねでした。
石膏型の講習会に参加したり、型に泥漿(でいしょう/専用のドロドロした粘土)を流して成形する鋳込み(いこみ)技術の講習会に参加してみたり…
気づけば、一つ仕上げる為に沢山のことを考えさせられ、勉強できる経験になりました。
魯山人様様です。
崇拝していた気がします。
ただ、今となっては、やはり過去になりました。
何故なら、どんなに頑張っても私は魯山人にはなれないし、私もわたしになりたいと思うようになった為です。
だから、すっかり彼の事を忘れていたのだと思います。
自分を追求することが何より大切だと、年々自分なりに理解していったのだと思います。
しかし崇拝まではしなくとも、偉大な彼の事はやっぱり好きなので、ちゃっかりプロフィールの好きな人の欄に入れておきました。笑
好きなことばも載せておきました(^^)/
そういえば、これまでにも色々な名言もらったなぁ…
書いてるうちに思い出す事って多いですね。頭の整理になると、記憶の引き出しが徐々に開くようです。
いつかこの名言も書いていきますね。
それでは、また。