こんにちは、シタエッティです。
今日は前記事にあった、九谷の先生のお話をまとめたいと思います。
それでは、どうぞ。
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先生は、個人作家でもありますが、お弟子さんを抱える窯元の2代目でもあります。
会社としての仕事相手として、過去にはデザイナーと組むこともあったようですが、今はプロデューサーと呼ばれる方と組むことが増えているようです。
プロデューサーとの仕事は、今までと違うやり方で進む為、とてもやり甲斐があり面白いのだそうです。
どういったことかというと、まず彼らは私たち作り手が苦手とする市場調査の術を、巧みに使いこなします。
・どこに売り出すのか
・どこのメディアに発信するのか
・ターゲットはどこに絞るのか
こういった項目を事前に決めておいてから、「さぁ。では、どんなものが良いかな。」と、ここから作品作りをスタートさせるのだと言うのです。
通常は、作品ありきで事が進みますから、私は衝撃的でした。
個人作家のレベルではなかなか難しい戦法かもしれませんが、興味深くそそられました。今までと違った作品の作り方になることによって、面白いものが出来そうな気がしてしまうからです。
また、海外進出においてのお話で、
海外と日本では、趣味や嗜好が違うから受けるものが違うと思っていましたが、先生のお話を聞いていると、他にも私なりの解釈が出て来ました。
あちらでは、バックグラウンドを気にせず、ものだけで判断している。
こちらでは、まずどんな人が作っているのか、ちゃんとした人であれば良いものに違いない、と判断している。
作品を見る目が、大多数はこのような基準では無いかと思ったのです。
プロアマ問わず「良いものは良い。」という世界はある意味、実力社会ですが、それこそ魂の入った作品が生まれやすい環境なのかもしれません。
これには、まずものづくりする人の考え方にも影響していると思います。
海外では、良いと思ったものはどんどん外に出すし、より良くなる為に今の自分の現状に留まる事なく、追い求めている気がします。
日本は、閉鎖的な所がまだまだ残っているかと思います。自分の持っている技術は、あまりオープンにしたがらない傾向にあるかと思うのです。
もっと話を膨らませれば、これは後継者問題にもつながっているのかもしれません。(以降は私の今持っている妄想話です。)
”技術やコツは見て盗め” というだけでは、新人がうまく育たない時代に入っているのではないのでしょうか。今は、昔のように数を大量こなすことが減りました。これは、少量でも質を求める時代になったとも言えますが、絶対数が少ないのであれば余計に、もっと効率的な指導が求められている気がするのです。
それには手取り足取りという誰にでも分かりやすいやり方が、(指導者の負担が増えるように感じますが)実は一番効率が良いのではないかと私なんかは思います。トータルで考えると、教える時間が短く済むはずだと思うのです。
最後に、
先生がお話をする中で一番印象に残ったのは、最初に出てきたデザイナーと組む仕事についてのことでした。
デザイナーが要求するのは、余計なものを削ぎ落とす作業になるようです。やはりスタイリッシュさを求めているのでしょうか。
しかしそれは、九谷焼に従事する者にとっては辛い作業のようです。絵付けが余計なものとされ、それを削ぎ落としたら出来ることが何も無くなる為、つまらないようなのです。
先生はおっしゃっていました。
「九谷焼は絵付けあってこそ」
あの強烈な色や、どぎついまでのゴテゴテした装飾。
泥臭くても古臭くてもやりたいんだと。
格好つけず、変に媚びること無く。
やりたい事を思いっきりやる。
長年携わってきている先生から、こんなシンプルな印象を与えてもらうことが出来るとは思いませんでした。
もしかしたら一周回って辿り着く答えなのかもしれません。
ここに来ての
この答えは、私にとっては、とても深いと思わずにはいられない事実となりました。
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読者の方が一人増えました、ありがとうございます😊
伝えることが不器用な私ですが、読んで下さる方が居て嬉しく思います。
それでは、また。