私がこだわっていること。
・生きた線で人を魅了したい。
・濃淡だけで仕上げたい。
・古典を大事にしたい。
今のところ、この3つが制作する上での基本になっています。
生きた線というのは、反対に言えば死んだ線もあるということになりますが、それが悪いと言っているのでは無く、あくまで、私がどちらを描きたいかと自ら問えば、生きた線を描きたいということです。
ちなみに、私が思う生きた線は、まるで命が吹き込まれたかのように流れがある線のことです。
お花なら細く柔らかい線
それに続く、茎や葉っぱは強くハリを与える線
唐草だと伸びていくイメージで、巻きを意識して描いています。
こう考えながら描いていると、たかが線にも色々な表情をつけることが出来、面白いのです。一個二個…と仕上げていくうちに、もうちょっと細くしようとか、あっ今のは上手く描けた!とか、一つ一つに気づきもあったりします。機械が描いている訳ではないので、ここにはしっかりと感情が入っています。そして、気分が乗ると、お花ひとつにとっても、開き具合を変化させたり、花びらの先を反らせてみたりして楽しみだします。手描きならではの遊びが、私にはたまらなく楽しいのです。
二つ目の、濃淡だけで仕上げたいというのは、私は複数の色は使わず、単色で人を惹きつけたいという願望がある為です。九谷の人があまりやらない分野を攻めるという、ただの私の中のあまのじゃくな一面が、そうさせているとも考えられます。自分だけの色を作ることが出来たらと、夢を膨らませては、日々制作しています。
三つ目の、古典を大事にというのは、私が古いものに魅力を感じている為です。もとより、今は手に入らないという希少価値を、古いものに対し位置づけていたのもありますが、陶房で働いていた時に、小紋や古典柄には意味があることを知り、吉祥の想いを器に託す美学に感銘を受けたからです。
それはそれは、若い無知な私にとって衝撃的でした。こんな世界があったなんて…!という驚きです。そして、こんな素晴らしい世界をもっと世に知ってほしい!と広めたい気持ちが芽生えました。器たった一つに、作り手の愛が古典柄によって込められているのが、なんて奥ゆかしいんだろうと感じました。私としては、なぜその図案が選ばれたのかと、贈られた側が意味を知ると、さらに貰った喜びが増していくのではないかと勝手に想像してしまうのです。
このように、私は、上記に述べたこの三点を軸にして制作を続けています。たまにズレてしまうこともありますが、それはそれでありのままの姿なので仕方ないです。
ものづくりする人が、
こんなにも人間臭い性質を持っているなんて知った日にゃ…
面白可笑しい。
と思うのは私だけではないですよね………?