そして線を大切に。

九谷焼絵付師です。主に下絵付けを中心に制作しています。上品で味わい深い下絵の世界を目指して…

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全く写真が無いですが、想像しながら読み進めて頂くと嬉しいです。

こんにちは、シタエッティです。

前記事で言っていた、寄り道の話をしようと思います。

粘土屋さんに向かう手前に、いつかの新聞記事で読んでから気になっていた施設を見つけました。今日は必ず寄ろうと心に決め、帰りにウキウキで訪れたのでした…

それでは、どうぞ。

 

 

 

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小松市立登窯展示館」

前を何度か通っているのにいつも目に入ってなかった施設です。新聞記事を読んでから大分経っていましたが、特別展示は継続中でした。

この特別展示品が気になるのと、登窯というのも気になっていました。

通りから少し(用水路のせい?)奥まった場所にあり、何故か斜めに二台止まった車に「こういうスタイルなのね」と、真似して斜めに頭からつっこみ、私も駐車しました。

そんなに広くはない駐車場でしたから、すぐ目の前に展示館はありました。

でも、入口まで行って初めて二ヶ所に分けられた施設であると気づきました。左手の建物が展示スペースで、右手の建物が登窯を見学できるもののようでした。

ただ、見たい展示の方には閉館の札が下げられ、暗い室内にはどうやら関係者が話し込んでいるようでした。

登窯の方も暗く、もしや今日は休館日だったのかもしれないと焦り、調べると月曜日が休みとしか書いていませんでした。

よく分からないけど、折角来たんだしチラッと見せてもらおうと登窯の方に、しな〜と入って行きました。(今考えると入口が開け放してあったからと勝手に入ってしまいましたが、かなりモラルの無い行動でした。反省。ただ言い訳すると、登窯の迫力があまりに凄く、興味をそそられまくって勝手に体が引き寄せられてしまいました。無料だったことも後から知ります(^^;))

中に入ると、九谷焼の工程が詳しく説明されていたり、様々な絵付け技法を分かりやすく展示していたりしました。なるほどーと思いながら、横に目をやるとビックリ!登窯が丸ごと!こりゃすごいとワクワクしてきます。

私は焼物に携わっていながら恥ずかしいことに、こういったものを間近で見るのは初めてだったので、テレビや本で見た記憶の答え合わせをするようにじっくり拝見させて頂きました。

登窯は前から段々と丘のように傾斜しながら高くなっていて、全てレンガのようなものを積み上げて出来ているようでした。

登窯のそれぞれの部屋を横から見るために整備された階段からそちらを覗きこむと、実際に物が詰まっていて、使っていた当時を少しだけ知れたような気がして嬉しくなりました。

階段脇には型物の展示もありました。中でも獅子が前足を球にかけた、いかにも九谷焼!という昔ながらの置物の大きな石膏型は、感動でした。胴体や尻尾などの細かいパーツに分けられた割型ですが、それぞれが大きなものだったので今はもう生産しない代物かと思います。

登窯に満足しながら入り口まで戻りもう一つの建物を覗くと、先ほどと変わりなく、今日はもう諦めようかと思いました。しかし「いや、やっぱり見たい!」と強く思い直し、扉に手をかけると…

簡単に開きました。

「あれ?」と思っていると、どうやら私が”開館”の札を”閉館”と読み間違えていたようで、普通に開いていたのでした。恥ずかしい(~_~;)

暗かったのは、照明の入れ忘れのようでした。新聞を読んでから気になっていた展示が目の前で明るく照らされました。

展示品は、小松市の伝統工芸士の一部の方が出展されていて、壁一面のガラスケースに作品が飾ってありました。販売というよりも、九谷焼というものを紹介しているような雰囲気作りでした。 

知っている先生方と初めて見る方と半々くらいでしたが、辿り付けた喜びに浸っていましたから、もはや私には数点の記憶しか残っていません。。

その中で印象に残ったのは、黄色と黒のコントラストが目を引く花器でした。

球体のように真ん丸で大きな図体に、穴がちょこんとてっぺんに開いたもの。何をどうしたらこう至るのか、、ただものすごい技術がいることだけは間違いない事実であると思います。

他にも色々と見せてもらっていると、ここの館長さんが登窯の方もどうぞとおっしゃるので、たまたま来ていたご友人?の方も一緒に、再び向かう事に。

私は内心ヤッター!でした。何故なら、一人寂しく暗がりで訳もわからず見るのとは違い、真の理解度が上がると思ったからです。ウキウキでした。

照明がつくと、生解説を交えながら丁寧に案内して下さいました。時折、ご友人?と私の質問に丁寧に答えて下さりとても貴重な時間になりました。

印象的だったお話は、色々ありました。

・薪はアカマツが優れている。

アカマツの成分で中の壁が釉薬が掛かったようにテカテカになる。

・昔は登窯しか無かった為、深夜の薪番は大変だが生活がかかっていたから皆必死だった。

・冬より夏が窯の温度が中々上がらず大変だったようだ。

・過去にあった豪雪で壊滅的な被害に遭い、それを境にして登窯は使われなくなっていった。

自然相手に上手く付き合いながら焼物は焼かれていたのでしょうが、まだまだ無知な私はそこに美学を感じてしまい、カッコイイなぁと思ってしまいます。

先ほどの話に出てきた獅子の大きな石膏型が存在するのも、登窯という大きな広い空間を確保出来た為、そしてそういう物が求められた時代があったからなのでしょう。だからこそ、巨大で精巧な焼物の制作が出来たのだと思いました。

今でこそ電気窯やガス窯で焼いていますが、登窯の全盛期はそれが当たり前だったのですから、先人たちの熱意と技巧に敬意を払わずにはいられません。

一人では決して出来ない仕事だというのが良く分かりました。とても素晴らしいです。

他にも窯の焚き方や原料などのお話があり、とても有意義な学びがあるひとときとなりました。

 

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以上が寄り道の全貌です。

やはり専門知識を持った方に話を聞くことが一番分かりやすく、素直に自分の中に入ってきますね。

今回の記事を書き上げるまでかなり手間がかかってしまいましたが、思い出す作業はすんなりとスムーズでした。

”百聞は一見にしかず”

とも言うように、映像の記憶が脳裏に焼きついたようで、私の知識の一部になりました。

 

もっともっと焼物に精通したいし、謙虚に、でも大胆に制作に励みたいと思いました。

 

長々と書いてしまい失礼しました。お付き合い頂きありがとうございます。

 

 

それでは、また。