前の記事に、九谷焼は高いと一般的に思われていると述べたのにも関わらず、最後はこれに一切触れず終わらせてしまったので、こちらで書いていこうと思います。
文章を書くのに慣れていないため、読みづらかったり伝えようとしていることの半分も伝えられていないかもしれませんが、今日もまたお好きな方はお付き合い下さい。
九谷焼は高いか安いかで言うと、もちろん高いと思います。作り手の立場からもそう感じると公言してしまうのは、おそらくタブーです。先に謝っておきます、ごめんなさい。
しかし、高くしようと思って値段を決めている訳ではない、と言うことは理解して頂きたいと思っています。それぞれが表現したいことを好きなように表現するのは、簡単なようで実はとても難しく、時間をかけて制作に励むこともありますが、まずは自分自身と向き合えているかと、深く自己を見つめなければならないのです。能力と精度を高めようとすればする程、目には見えないところで悩み、苦しんでいます。こういう積み重ねがあるからこそ、価値が上がって行くのだと思います。
そこで本題の『価格と価値は比例するのか』という問いに繋げてみると、私が思う答えは、「比例しない」です。
アレ?言ってることがちぐはぐだと思いましたか?まだ伝えきれてない部分があるのでお話させて下さい。それは、上記に述べたような作り方をされていないものが混在している為です。どういうものかと言うと、同類における量産品の製品だったり、まだ自分と向き合えておらず、これで良いのだろうかと迷いながら制作されたものです。
あなたはきっと見抜いているのだと思います。だからこそ、謳い文句に〝ひとつづつ丁寧に仕上げた、全て手作業による工芸品です〟 となっていても、高いと感じたり魅力を感じないのではないのでしょうか。
しかし、そうではなく意欲的なものを高いと感じても不思議ではありません。なぜなら、人はそれぞれ心に響くポイントが違うということ、そして出会うタイミングがそうさせていると、理解できる為です。
…
……。
訂正させて下さい。
『価格と価値は比例するのか』
比例するし、比例もしない。
高いから良いもの(良いものだから高い)
安いから悪いもの(悪いものだから安い)
安いけど良いもの(良いものだけど安い)
高いけど悪いもの(悪いものだけど高い)
そんなこと全部、その時の一瞬一瞬で自分自身の受け取り方次第でころころ変わりますし、そこで難しく議論しても、議論がしたいだけになっていることに気が付いてしまいました。選択する自由は、いつも自分に委ねられています。選んだ結果がどうであれ、です。
ここまでの長文に、貴重な時間を割いて読んで下さりありがとうございます。読者の方が求めていた答えでは無かったかもしれませんが、私としては、書いていくうちに気付きを貰えて、充実感で満たされ満足しています。
長くなりましたね。それでは、また。